2013年 創造事業部活動履歴

仙台シアターラボ公演『透明な旗』

「透明な旗」 PR-仙台シアターラボ

「透明な旗」 ダイジェストムービー

仙台シアターラボ「透明な旗」アフタートーク SUBTERRANEAN Dialogue

アフタートークゲスト:山田宏平

 

野々下孝(仙台シアターラボ):大学入学と同時に仙台で演劇活動を開始。

卒業後、東京で劇団山の手事情社に入団。《山の手メソッド》の確立と発展に関わる。2010年に活動の拠点として仙台シアターラボを旗揚げ。現在は東京と仙台で活動中。

山田宏平:演劇家(俳優・演技トレーナー・ワークショップデザイナー)。洗足学園音楽大学ミュージカルコース講師。劇団山の手事情社に在籍しつつ、近年は劇団を離れて独自の活動を行なっている。

赤井康弘(サブテレニアン):サブテレニアン代表。サイマル演劇団代表、演出。

 

-+++仙台で旗揚げするまで+++

 

赤井  山田さんは今回はじめて野々下さんが構成、演出する作品をご覧になったということですが、いかがでしたか?

山田  個人的な感想になってしまいますが、「ああ、野々下らしいな」というのが率直な感想です。頭の先からつま先、かかとまで、そして共演者にまで「野々下らしさ」をしみこませたんだな、と(会場笑)。彼の劇団の柱にしている構成演劇という手法は、一緒に在籍していた山の手事情社のとっている手法と似ているところがあるので馴染みがあるのですが、端々に野々下らしさを強く感じましたね。構成演劇という手法では、特にそうした端々に人間らしさが出てくるんだろうな、と僕は思っています。

赤井  野々下さんは構成、演出をして出演もされていますが、手法では山の手事情社との違いを意識されているのですか?

野々下 それほど意識はしていないです。集団で最初にテーマを決めて、各自が創作して発表して、コンペ形式で選んだりしながら作品を作るという過程において、大きな違いはないですね。

山田  多分、ジャッジするのが自分というのが大きく違うところなんじゃないかな。

赤井  なるほど。

野々下 そうですね。・・・ですが、コンペ形式で決める時に、最大公約数と言いますか、劇団員が共有しているセンスみたいなもので何となく決まっていくというところがあります。稽古場で爆笑の渦だったもので、舞台にはのらないということもたまにはありますけれども、大体は残っていきますね。最終的にどうしても決まらなくて、僕がジャッジするということはありますけれども。

赤井  仙台で旗揚げした当初は、そうした集団制作の手法をとっているグループは珍しかったのではないかと、僕も仙台で劇団をやっていたので思ったりするのですが、はじめから順調に受け入れられたのですか?

野々下 仙台には外から入っていったので、「これが正しい」ということは言わないように気をつけました。実際、そうしたアドバイスをたくさんの方からいただきまして。最初はいろんな劇団に客演してみるところから始めて、その輪の中で自分がやりたいことを言って、集団創作したものを演出家の人に見てもらっていました。その過程で出来た仲間たちと旗揚げしたんです。

赤井  違和感を持って迎えられたということはなかったのですか?

野々下 自分は違和感をいい方にとるので、無関心じゃない限りは可能性があると思っているんです。

 

+++東日本大震災に直面して+++

 

赤井  そのようにして、2010年に旗揚げしてすぐに震災がおこったわけですよね?

野々下 はい。旗揚げをして、試演会をして、そのブラッシュアップしたものを2011年の本公演でやろうと思っていたら震災にあいました。その作品のタイトルは「崩壊」だったのですが、劇団員に総出で止められまして。あまり変わらないのですが「腐敗」にしました。チェーホフの「かもめ」を題材にした、才能が腐っていくという話だったんです。

赤井  震災後、何か変わったことはありましたか?

野々下 仙台以外の方たちからの期待をたくさん感じました。周りの方が僕たちを呼んでくれて。劇場が軒並み閉鎖して、演劇活動が全くできない状況から呼び出してくれたことがきっかけで、たくさんの交流が生まれました。そうすることで、僕たちも自分たちの演劇を他の地域と比べるようになったというのが大きな違いです。

山田  比べる?

野々下 僕自身はもともと違いを意識して、比べながらやっていたけど、それを仲間に伝えるのが難しいと感じていたんです。

山田  その違いというのはどういうこと? 「もっと練習しないといけないよ」みたいなことですか

野々下 そうですね。いい芝居を作ると、その成功体験が目指すものを高くするんですよね。最初に旗揚げした時は、自分が思い描いていた成功体験に辿り着かないので、稽古期間を2ヶ月から4ヶ月に伸ばす提案をしたりしていました。ところが、その成功体験を伝えるのがなかなか難しい。そんな中、震災をきっかけに、仲間たちが大阪や名古屋と交流し、客演をしたりするうちに、仲間の成功体験値が上がっていったんです。

 

+++仙台と東京の芝居作りにおける違い+++

 

山田 稽古期間を長くとるということも大事だけど、一日の中でどのくらいの時間を演劇にかけることができるのか、ということにも興味があって。僕なんか家庭持ちなので、ずっとイメージの世界にいるというわけにはいかないというか。雨が降って来て、洗濯物が濡れていくのをずっと見ていたくても、それじゃ怒られたりするじゃないですか。今回の作品の中でも、学業や生活の生業と演劇との関わりに親しみを感じるシーンがありましたが、仙台と東京ではその違いがありますか?

野々下 演劇をのびのびとやる時間は仙台の方がたっぷりとれていますね。また、街の規模が東京よりも小さいので、他のジャンル、例えばリアリズムや大衆演劇の劇団などとも交流する機会があり、演劇の多様性を寛容するようになりました。東京いた時は、僕の体験から言うと、自分たちの作品のクオリティをひたすら追求していたのですが、仙台に来たら、稽古場や劇場の周りの人たちとどうやったら繋がれるのか、ということをたくさん考えるようになりました。

 僕たちの公演は小学生以下は見れないのですが、中学生、高校生は無料で見れるようにしています。また、公演以外の活動もたくさん行っていて、学校の演劇部に指導に行ったりという活動を積極的に行っています。

 仙台で演劇活動を行うようになって、僕たちの演劇を取り囲む環境にかなり敏感になりました。

赤井  仙台には、10-BOXという、仙台市の市民文化事業団という市の外郭団体が運営している、24時間使える稽古場がありますね。

山田  稽古場にも劇場にも使える箱が10個あるから、10-BOXと言うんですよね。

赤井  震災の後は、ARC>Tが10-BOXを拠点として子供向けのワークショップやアウトリーチ活動を行ってきました。10-BOXはそうした活動の契機として重要な機能をはたしています。

野々下 10-BOXがあり、そこを拠点としてARC>T(※注)が活動していることで、「小学校に俳優を派遣してくれませんか」という話が来たり、老人介護施設などでお芝居をプレゼントしたり、という活動を行うようになったんです。

山田  一方では構成演劇という演劇をやりながら、一方ではそうしたアウトリーチ活動を行うことに違和感はなかった?

野々下 それはあまりなかったですね。僕のやっている演劇は、演劇の中でもほんの一ジャンルだという認識があるので、子供には子供向けのお芝居を見てもらいたいと思い、「嵐の夜に」という芝居を作ったりもしました。自分たちのスタイルを中学生に見てもらうこともあるのですが、そういう時は一種の職業体験のように受け入れられ、喜ばれています。

山田  どんな感じ?

野々下 「おぉ!、おぉ!!、おぉ!!!!!」という風に(会場笑)。

山田  ダイレクトなんだね。

野々下 さきほども言いましたが、僕は違和感を与えるということをいい方向にとるんです。違和感を届けにいくようにしているというか。「僕たち、ここが変わっているよね」「ここを見てほしい」というように。

赤井  東京の方が、演劇に対してストイックに取り組めるということはあると思うんですよね。演劇のことだけ考えて、クオリティの向上に努めるというか。ところが、仙台に行って、別のジャンルや、地域の方々と触れ合うことによって、演劇だけで完結せずに、演劇を社会の中のコミュニケーションの手段として認識するようになったという感覚が大きいのかな、と思います。

 

※注 ARC>T(あるくと)

Art Rivival Connection TOHOKU 宮城の舞台表現者が中心となり立ち上げた東日本大震災を機に失われた文化・芸術に関するひと・まち・場の再生、ネットワークづくりを推進する団体。2013年4月、二年間の活動期間を経て、新体制へと移行した。

 

+++「見る、見られる」の関係が僕たちを育てる++++

 

山田  今日は、さきほどの話に出て来た中学生のような気持ちで作品を見せてもらいました。「野々下らしさ」にいい違和感を持ったと言うか。外側は同じツールを使っても、中身が野々下らしいというか。改めて「まっすぐな人なんだな」と思いました。

赤井  これから、座組で新たなパートナーと出会ったりすることで、変わっていくような気がします。

野々下 そうですね。今回もダンサーの磯島未来さんと一緒に作ったシーンが一つあるのですが、今後も、身体表現など他のジャンルの方と一緒に作品を作ってみたいという思いがあります。

赤井  お客様から、何かご質問などございましたらお願いします。

会場より 東京で学んだことが仙台では珍しがられたというお話がありましたが、今回は、そのようにして仙台で作った芝居を、かつて学んだ東京で上演されたわけですが、どのような気持ちでいらっしゃったのですか?

野々下 山の手事情社のメソッドを知っているお客様に見てもらうことになるので、「より厳しいお客様に見てもらう」という意識で来ました。「見る、見られる」の関係が僕たちを育てると思っているので、もっとそういう環境が欲しくて。今回、東京で公演することにしたのも、「自分たちの芝居を批評してほしい」という気持ちがあります。

赤井  ありがとうございました。仙台シアターラボさんでは、今回の『透明な旗』の劇評を広く募集されてますね。ぜひ劇評をお寄せいただきたいです。いただいた劇評は、「劇評ラボ」として、仙台シアターラボさんのウェブサイトでご覧いただくことができます。そちらも併せてご覧ください。今後はどのような活動を予定されていますか?

野々下 2014年の2月に、新作のトライアル公演を行う予定です。また、子供やアーティストに向けたワークショップは随時行っていきます。

赤井  山田さんはいかがですか?

山田  講師をしている洗足学園音楽大学ミュージカルコースが邦楽コースと共同でつくる邦楽ミュージカルの公演が11月にあります。柿喰う客の中屋敷法仁さん書き下ろしの作品で、僕も出ます。また僕は出ませんが、山の手事情社は2014年の1月に公演をします。また、今年、ルーマニアのシビウ国際演劇祭の20周年の特別功労賞を、日本からは中村勘三郎さん、野田秀樹さん、そして山の手事情社の演出家の安田雅弘の三人が授賞しました。

 

赤井  本公演は、サブテレニアンダイアローグの第三弾でもあり、2013年のセンティバル、全68ステージの大千秋楽でもありました。こうして盛況をもって迎えることができて光栄です。サブテレニアンでは、ダイアローグとして、2011年6月に福島市の満塁鳥王一座が公演した「キル兄にゃとU子さん」を改編し、韓国から俳優を向かえて上演します。ぜひそちらもお越しください。

SSD2013年度春学期PBLスタジオ1メディア軸成果物『S-meme6』

『S-meme』インタビュー記事本文

―仙台シアターラボを立ち上げたきっかけを教えてください。
野々下:仙台シアターラボをつくったのは、地方でハイアートつくりたいと思ったことがきっかけです。自分が陣頭指揮をとれる集団をつくった方が良いんじゃないかと思い、仙台シアターラボをつくりました。ただ、ハイアートを究めていこうとすると、最終的に東京での活動が中心になり、東京に移り住む可能性もなくはないわけです。では、東京から仙台に移り住んだ自分が仙台でやる必然性は何のかと思って探していた時に、小中学校や保育園でワークショップを実施し、地域に私たちの演劇的知恵を還元することができるのではと思ったんです。そこで、仙台シアターラボの活動を、ハイアートとしての演劇づくりと、子どもたちに演劇の魅力を伝えるワークショップの二本柱で取り組んでいこうと決めました。
―≪透明な旗≫のねらいを教えてください。
野々下:僕たちはずっと構成演劇という手法で演劇の創作に取り組んでいます。構成演劇とは、主題を決めてそれを俳優たちがつくりあげたものを切り貼りして、一つの演劇に仕立て上げるというものです。今回は、地方で演劇やアートなどの表現活動をしていくことの孤独を、僕らで描きたいなあと思ったことが作品づくりのきっかけとしてあります。アートは、商業に乗り切れていない弱い存在だから、表現活動を続けていても経済的な見返りもないので、正直やっていくこと自体が不毛に感じられる時もあって、続ければ続けるほどに演劇人は孤独との戦いになっていく。そのことについて興味を持って、調べてみるといろいろな人がそのことを語っていることがわかった。中でも小林秀雄さんの『故郷を失った文学』は今回の作品づくりの参考にしました。演劇人の孤独な状況と、『故郷を失った文学』に書かれている「故郷喪失」には何らかの関係があるのではないかと考えみたんです。日本人は、すこしおかしいところがあって、それは歌舞伎も能も狂言も知らないのに、何故かシェイクスピアは詳しかったりする。すごくおかしな国民性なのかなあと思います。そこで「透明な旗」と題して、断絶している国民であったり、演劇人であったりを描くことになりました。メンバーそれぞれの様々な「故郷(ふるさと)」が構成されていて、それは例えば宗教だったり、生活だったりします。ストーリーとしては、3人が僕の分身として存在するように組み立ててあります。

―稽古のスタートはいつ頃からでしたか。どのようにはじめていったのですか。
野々下:一年くらい前ですね。半年経った頃に発表会をしてから、一本の芝居に仕上げていくので、稽古は10月、11月くらいから始めました。はじめは、日本の状況が変化し、人も変化しているということを共有して、「自分の故郷(ふるさと)」について意見を出し合いました。まずは僕から、息子の寝顔を見ている時に唯一「故郷(ふるさと)」を感じる、という話をして、そこから派生させていきました。小さいことから大きなことへつながっていく感じです。
―「日本」というテーマを設定した時、バックグラウンドが違うメンバーから思いも寄らなかった故郷(ふるさと)のイメージが出てきたりしましたか。
野々下:メンバーから「宗教」という意見が出てきた時は一番びっくりしましたね。僕にとって一番縁遠いことだったから。芝居づくりは、課題を抽象的に与えて、それを具体的に芝居で返してくれるという感じで進んでいきました。「エネルギッシュに語りながら、何かをそれが無くなくなる感じでつなぎとめようと演技してみて」と言ってみたりしながら、シーンができていったり。今回取り入れたシーンで、本田君が自分の大事な何かを無くして、友人がいなくなって、最後の一人になって自分がもうすぐ死ぬという時にどんなことをやるのか、というシーンがあるんですけど、ほとんど最初に彼がやってみた時と変わっていません。

―一般的には演出家がいて、その人が半分観客の視点を持って演劇をつくっていきますが、今回4人の役者から出てきたものをサンプリングして一つのものをつくりあげていく時には、4人の中でどういう役割分担をして物事を決めていくのですか。
野々下:僕が役者リーダーになっています。稽古はビデオで録画していて、家に帰って観てからメールでダメ出しを送ります。僕らの稽古場には通常は演出家がいない状態で、役者リーダーが一人います。チームを分ける時もあるので、全員が役者リーダーになる機会はあります。4人集まって何かしようという時は、これまでの経験値から僕が役者リーダーになるという感じです。そういう意味では、4人が全員「演出の目」「役者の目」「スタッフの目」を持って同時進行している感じですね。最終的なところでは共有しているセンスをもとにコンペ形式で決めていきます。後は、説得力のあるプレゼンテーションができた人の案が通ることもあります。最後は必ずやってみて、一番良かったものを残すという方式ですね。

―芝居をつくる環境として、仙台という街の環境はどうですか。特に10-BOXのような場所があることについてどうお考えか聞きたいです。
野々下:稽古場は必要だと思います。ただ稽古場が必要となると、お金も必要になってくるので、お金をまわしていく才能が結局必要になる。僕の周りのメンバーは、まだそこまでお金を集めることに長けていないので、たぶん10-BOXがなかった場合は、稽古場ジプシーになっていただろうと思います。あと僕たちは今若手のスタッフをメインに起用して人材育成に取り組んでいるのですが、スタッフさんと一緒に成長していくためには一週間近く前から仕込みをはじめる必要があるんです。その理由は単純に実力がまだないから。照明だけで2日間、音響だけで2日間、それから場当たりで2日間かかってしまうんです。たぶん10-BOXがなかった場合は、人材育成を考える余裕はなかったかもしれません。お金を払って一番実力のある照明さん、音響さんに来てもらって、最短で仕込んで、公演回数も最低限にして、その日のうちにバラす、というふうに進めるでしょう。今回は8日間くらい借りているので、何日間も仕込んで、終演後にワークショップをやって、ワークショップの後に交流会もやることができます。10-BOXは 5日間以上借りると一日当たり4,600円で、この価格だからできることですね。そんなことができる場所は他に探しても無いので、10-BOXはすごいなと思います。

―最後に、仙台シアターラボの活動を今後どのように展開していきたいかを教えてください。
野々下:どうにかして認められたいですね。他のメンバーも少しずつ感じてきているんですけど、頑張れば頑張るほど孤独が強まる。良い作品をつくって、お客さんや評論家に認めてもらうための活動をしていくと共に、助成金などを使ってそれらを子どもたちに還元していく場をつくる活動をしていきたいと思っています。