Sendai theater Labo Hamlet Project EXPERIMENT/AL 2015 劇評
小出侑佳
私、小学校の頃、3年間学校に行けていない時期がありました。その時、つらくて、夜眠れなくて、ふと『死』を考えてしまっていたんです。『死ぬ』ということです。
自分が死んだらどうなるんだろう。 死んだらどんな気持ちなのかな。 何もないってどういう気持ちだろう。 子供がお腹にいるみたいな感じかな。 息をしないんだよね。
空気がない。宇宙だ。死んだら宇宙から生きてる人を見てるのかな。宇宙に行ったらどんな感じなんだろう。宇宙は『無』だ。宇宙。果てがない。宇宙。と恐怖を感じていたんです。でも正直死ぬのなんて怖くて。それから宇宙が怖くなってしまって、宇宙が、星空が見れなくなりました。
でも震災を経験して、「死ぬ!」と思うような経験をしてから、見れるようにはなったんです。震災の日は車で過ごすことになったんですね、それで、駐車場まで行く間に、ふと上を見たんです。周りが真っ暗で、珍しく星がよく見えました。
綺麗だなと思えたんです。暫く見ていました。
そして見終えた後、「ふぅ、」と満足したような息がこぼれたのを覚えています。
でも、満足していたのだけれども、どこか恐怖心があったのを覚えています。
あの、何が言いたいのかというと、今回の劇を観終った後、凄く安心したんです。
当時、星空を眺めていた時のような気持ちになりました。客電が点いてから「ふぅ。」と息がこぼれていました。でも、当時とは違うのは、恐怖心を感じなかったことです。
結構「涙が出た」という感想をツイッターで目にします。でも私は、涙は出ませんでした。
微笑んでいました。安らかな、幸せな気持ちになれたんです。
彼女(美咲さん)が拾っていたものはなんだろうと、凄く考えました。見た目はビー玉だけれど、あれはビー玉ではない気がしていました。
星?命?自分の想い?または誰かの想い?死?(死を拾うって意味わかりませんけど…)
星と考えたのは、パンフレット?「ごあいさつ」に書いてあることを読んでから観たというのもありますが、黒い床の上、照明でキラキラ光るビー玉が星に見えたから…です。
命は、この世に果てしなくある命を、1つ1つ無駄なく拾っていた(果てしない作業に見えた)から、稀に何個か一緒に集めていたのが、集団(女子が一緒に行動する、とか、会社で働く、とか、団体)に見えたのもあります。
自分の想い、または誰かの想いは、オフィーリアは色んな人の想い(ハムレットへの噂)や自分の想い(恋心)がどんどん大きく、どんどん重なっていって狂ってしまった。ビー玉を拾う行為、そしてその後の走るシーンが、気持ちをため込んで、そして抱え込んでしまって狂ったようにみえたからです。
そして 死 です。もしかしたら彼女は、色んな「死」を見てきたのかな。と
彼女とは、美咲さんでもなく、オフィーリアでもなく、そこにいた女性です。
「死んだらお星さまになって、見守ってくれるんだよ」と小さい子に、大人は言います。彼女はそれを信じてきて、でもある時信じきれなくなって「たくさんの星が、ちらばっている!たくさんの死が!散らばっている!」と空を見て叫んだのかなと思い死と考えました。
固定概念に囚われた考え方なのかなと不安になりますね。
文字にするとうまく表現できないです。
抱えて走っていたシーンは、上記のものをたくさんたくさん抱えて、耐え切れなくなって、つらくて走っていたのかな。苦しくて走っていたのかな。誰かに助けを求めるために走っていたのかな。それとも、どうしようもなくて走ったのかな。狂ったのかな…。
抱きとめられたとき(このシーン、タイミングがぴったりでゾクッとしました。)素敵でした。
男「初めまして」
女「初めてじゃありません」
その男性は、自分の知らない、新しい彼女に出会った。
その女性は、彼のもとに帰ってきた。そんなふうに見えました。
男「初めまして(おかえり)」
女「初めてじゃありません(ただいま)」
のような気もしました。
ビー玉が散らばった時、上記の抱えていたものが溢れたような、それとともに彼女の涙もあふれたようにみえました。星がこぼれて宇宙に戻ったような気もしました。
劇評だから批評しないと駄目だよとある人に言われましたが、私は劇に価値をつけることができません…
悪い点なのかは不明ですが、聞いててつらくなってしまったシーンはありました。
最初の泣いてるような、過呼吸のようなシーン、笑いながらビー玉を拾うシーン、息を吸うときの音がつらくなってしまいました…。(精一杯)
あと、私はまだ未熟だからわからないだけなのかもしれないですが、猪木のシーンは謎多きシーンです…。(精一杯)
最後に、本田さんがずっと何かを描いていることが、観ている最中は謎だったのですが、観終えてから凄く考えさせられました。
ある1つの考えなのですが、
描くということは、イメージしたものを表現すること、
演じるということもまた、イメージしたものを表現することに似ているなぁと思いました。
使うものが違うのかな?とも思いました。
私は中学時代美術部だったのですが、絵を描くということは自分のイメージしているポーズや服、背景(場所)、表情を、様々な画材を使って、スケッチブックやキャンバス、画用紙に描くことだなと思っていました。
今思うのは、台本を読んで感じること、もしくはその場で感じた、思ったこと(動きなど)をイメージして、舞台、またはその時にいる空間という真っ新なキャンバスにどう描くかだなぁと思います。もちろん画材は自分であり、衣装、それに音や明かり、舞台装置だと思います。
要するに、どちらも似ているんだと分かりました。
今年観た劇で一番考えさせてもらいました。ありがとうございました。
文字では拙い部分が多いですが、精一杯、私の言葉で書かせていただきました。
私は文章を書くのが凄く苦手で、作文もろくに書けたことがありません。今まで避けて生きてきました。きっとこれも、劇評ではなく(小学生の)感想文かもしれません。私の想いが伝わればと思います。
このような機会を設けてくださりありがとうございました。自分の考えや感じたことを誰かに共有できることが、凄く嬉しいです。
これからも頑張ってください。でもいつか私も、出演したいです。
ご協力いただいたアンケートの中から一部、掲載させていただきます。
物凄く短く感じました。一瞬で終わってしまって、でも内容は凄く濃くて、なんだか素敵だなと思えました。本田さんにじわってしまった(笑)。しっしーさんが美咲さんを抱きとめるシーンが好きでした。(10代・女性)
言葉で書くとなんかちゃんと表現できるか分からないんですけど、私というものの根源的なものを揺さぶられたというか、悲しいような、嬉しいような、不思議な感覚です。このまま世界に居たら、ああこれだって分かる気がします。この続きは妄想の中で味わいます。(40代・女性)
最高でした。客入れから、前説、本編、最後の「ありがとう」まで全部最高で、まさか泣くと思って来てなかったので、ハンカチ忘れました。こんなに劇場出たくないの初めてです。(2 0代・女性)
シアラボさんの公演は2回目です。今回も何とも言い難い、顔を背けられない惹きつけと、圧迫感と。一心に拾い集めたビー玉がただただ重くて美しくて。ため息が思わず、公演直後にこぼれました。白い姿すてき!ありがとうございました。バラ咲いた! (不明・不明)
体から出て来るものを見逃しちゃいけないという一心でずーと目が離せませんでした。溜めて溜めたビー玉がばあっと散るところは、星空が爆発したみたいで綺麗でした。計算なのか偶然なのか、猪木のときシーンとなった時にコロコローとビー玉が一つ転がっていったの凄く好きでした。考えてるようで考えずに観れて時間のせいでなく、短く感じました。下手にあった照明すっごく綺麗でした。(10代・女性)