Online lab

Fukushima Meets Miyagi Folklore Project#5 禍の光

観劇三昧でご覧いただけます。

■内容

大学の生物学研究室では、奥寺教授と大学院生たちによって、人間を作るプロジェクトが進行している。しかし、相羽良樹は自分の研究の進行が思わしくなく、野島遥は、恋人の栗山志歩が体調を崩し、実験の時間が取れなくなっている。未来を設計しながら、生活していくには、時間が足りない。ましてや死んだものや目に見えないものと過ごす時間など取れない。個人主義が進んでいる現代で、百年後の未来に寄り添う人々の物語。

幸福の果て

観劇三昧でご覧いただけます。

■内容

今回の舞台は、一九四四年にフランスで刊行された、アルベール・カミュの戯曲「カリギュラ」をモチーフにしている。 
暴君として知られる、ローマ帝国第三代皇帝カリギュラを題材に書かれた戯曲である。  
「カリギュラ」の登場人物たちは皆恐ろしい程の情熱で幸福へと向かう。 
困難を見付けだす努力こそが才能であり、才能のある者だけが見ることができる最果てに、彼等は向かう。 
「幸福の果てには、苦しみの国があり、苦しみの果てには、不毛のすばらしい幸福がある。」 
そんな、意味は通らないが、感覚的に分かるイメージを「カリギュラ」は孕んでいる。 
戯曲に書かれたことは、その時点で全て死んでいる。ゆえに時代や言葉の壁を越えることはできない。 
しかし「カリギュラ」が孕むイメージは、現在も生々しく脈打ち、今、日本に住んでいる我々がイメージするものと繋がっているのだ。 
「カリギュラ」が孕むイメージを我々が孕み直し、 
カミュが生んだ「カリギュラ」を我々が生み直す。 
1944
年にフランスの作家カミュが書いた作品を、2014年に日本で上演するということはそういうことだ。 
我々は信じている、 
イメージが、時代も国境も超えて観客に着床することを。 
そしてそのときこそ、作品が普遍性を獲得することを。 
それができる演劇が現代劇なのだと。

透明な旗

観劇三昧でご覧いただけます。

■内容
演劇を創る過程で、我々の頭の中には、先人の様々な営みや想いが浮かんでは消えていく­
アートというものはそうして誰かから受け継いで創られていくものなのかもしれない。
だとすればアートとは自己表現でありながらも、その範疇に留まらないものになる可能性­を秘めている。
我々の内部に「記憶のプール」と呼べる、歴史や想いが集積したタンクの様なものが眠っ­ていると仮定する。
演劇における故郷喪失者である我々にも「記憶のプール」はある。
古典を失い、規範を失い、続けること自体が孕んでいる絶対の孤独と戦いながら、個人の­原風景をもとに演劇活動を続けている我々にも、そのプールに浮かぶことはできるのだ。
歴史はいつも否応なく伝統を壊すように動く。
個人は常に否応なく伝統の本当の発見に近づくように成熟する。
過去と未来が非連続となり、歴史感覚が失われている現在、
故郷喪失者たちは、抽象的な観念の美に酔うことしかできない。

LIVEももたろう

観劇三昧でご覧いただけます。

■内容

ロックが鳴り響く中、俳優が暴れ回って伝える「心を独りにしてはいけない」というメッセージ。

安らぐ場所のない少年の心の中に生まれてしまった、孤独という名の鬼を退治しに、桃太郎は鬼ヶ島へと出発する。

子ども達へ向けた作品を作り続ける劇団が送る、親子愛と友情のエンターテイメント作品。

 

PV https://youtu.be/bs4BLp3qoYk

ダイジェストムービー https://youtu.be/LklRl-MDask

 

 

シアラボBasic Training at.ONLINE

仙台シアターラボでは、
自主的に、上演作品に関わることを重視しています。
自主的に、作品について、シーンについて、演技について、発声について、共演者と話し合い、即興を重ね作品を作っていくことを。
そのために必要なのが、台本を介さない基礎トレーニングの時間です。
自分の身体、声、言葉を使って演技について試すこと。
基礎トレーニングと基礎ワークこそが、机の上ではなく、稽古場で考える演技のスタート地点だと思います。
基礎を通して演技を自主的に考え、実践すること、そのことをBasic Trainingと呼びたいと思います。
ぜひご参加ください。

表現遊び「にんじゃになるんじゃ しゅぎょうその1『こえがえのじゅつ』」

お師匠様の指示に従って、ぽんこつたろうや、かっこいいのすけと一緒に、いろんな声を出す修行をします! 日常ではあまり使わない、低い声や、ヘンテコな返事、動物の声を出したりする表現遊びです! 自由な表現の世界をぜひ体験してください!