仙台シアターラボ ハムレットプロジェクト トライアル2015 劇評
佐々木久善
仙台シアターラボの作品は、いつも挑発的だ。例えば、カミュの「カリギュラ」やギリシャ悲劇の「オイディプス」といった古典を原作としながらも、常に「今」を突き付けてくる。
考えてみれば、演劇は共有する芸術である。場所を共有し、時間を共有することでしか、成立しない。私たちは劇場に足を運ぶことでしか演劇に出会うことはできないし、上演されている、その時間に居合わせなければ、やはり演劇に出会うことはできない。空間と時間、この二つが共有されて、初めて演劇に出会うことができるのだ。だから、演劇は、テクノロジーが発達した、この時代においては、まったく時代遅れのメディアであり、無用の長物であると言われかねない。
しかし、現代においても演劇は廃れてはいない。いや、逆に演劇の持つ新鮮さが評価されているほどである。演劇には、それだけの手間をかけても観たいと思わせるものがある。私は、それを人間が根源的に持っている共感への切望であると思っている。空間と時間を共有することでしか成立しない演劇は、決して、舞台から客席に向かって、一方通行に情報が流れるものではなく、舞台と客席の双方で情報が共有され、相互が共感することによって、初めて成立する芸術であると思うのである。
そのような演劇においてさえ、仙台シアターラボの創作活動は、ひときわ特徴的である。最初に書いたように、基になる作品を選定し、そこを出発点として、「今」を突き付ける。言うなれば、基になる作品とは、「今」を測る「物差し」である。だから、基になる作品は、物語でもキャラクターでも相関関係でも、あらゆる要素に分解され、創作の素になるのである。
今回、その素に選ばれたのは、シェイクスピアの「ハムレット」。あまりにも有名な悲劇である。しかも、その登場人物のほとんどが死んでしまうという救いのない物語でもある。
最初、男が現れ、誰もいない空間で、ブツブツと何かを言っている。
「ただいまって言ったのに…」
それ以外は、よく聞き取れない。しかし、それだけで十分に伝わってくるものがある。男は帰ってきたのだ。帰ってきたのに、期待していたような歓待を受けることはなかった。その失望感だけで、ここが男の思い描いた場所ではないことがわかる。
「あとは、沈黙。」というハムレットの最後の台詞を思い出す。
それ以降も作品は、ハムレットとは関係のないような、現代の風俗と人間関係を描いてゆく。ハムレットとは何なのか?
今回の作品で、特徴的なのは、出演者の多彩さである。とりわけ、女性が多い。しかも年齢の幅が広い。
ハムレットは、家族の物語である。家族には、何世代もの年齢の幅がある。人間の肉体には、演技だけでは乗り越えられないリアリティが備わっている。ハムレットを描くときに、この年齢層の広さは必須なのではないかと思った。
トライアルについて、代表の野々下孝は「はじめは、本公演のための試演会として上演されたが、その後、演劇人養成公演としての色合いを濃くしていき、現在に至る。」と記している。私は、トライアルのような演劇人養成公演でなければ、今回のようなハムレットを描くことはできなかったのではないかと思う。
仙台シアターラボは、身体能力の高い演劇人の育成を目標として掲げている一方で、演劇の普及も目標としている。これまでの公演が、少数精鋭の高度な身体を持った演劇人による弦楽四重奏のような作品作りであったのに対して、今回は、木管アンサンブルのように質の異なる楽器を組み合わせる妙味を感じさせる作品作りになっていたと思う。これは決して後退ではなく、新たな方向の模索として評価するべきであると思う。
ラストで、登場人物が手を伸ばす先は、数限りないコンセントの集積体。このコンセントについて、私は他人とつながることを切望する人間の、根源的な姿の象徴であると思った。
演劇は、常に「今」である。何故なら、演劇とは「今」を生きる者同士が出会うことでしか、成立しないからである。そして、それを突き詰めて作品を作り上げるのが、仙台シアターラボという集団である。
ハムレットプロジェクトは、今回の「トライアル2015」に続き、2016年に二つの作品を創作する予定であるという。作品毎に「今」を突き詰め、その場所でしか出会い得ない作品を目指す仙台シアターラボならではの三部作の完結を心待ちにしている。
ご協力いただいたアンケートの中から一部、掲載させていただきます。
ラストの狂気じみたシーンが、鳥肌が立ちました。舞台装置すごかったです。(10代・女性)
お婆ちゃん役のお姉さん、大好きです♪テンポが良く、楽しく笑わせていただきました!ライトも綺麗ですね、ありがとうございました♪(2 0代・女性)
面白さがあり、楽しく観る事ができた。後半に入り、考えさせられる部分、共感できる部分があり、最後まで楽しめた。俳優自身が、背景や道具なども見せる演技だった。(不明・不明)
交差する日常と非日常、過去と現在、全てに共通する人の想い、言葉にする事ができない気持の代弁、そんな感想を持ちました。(50代・女性)
舞台美術が素晴らしいと思った。照明も。素敵が沢山詰まっていた。最後の様式が凄くて、終わった時アホな顔だった。凄く魅せられた。(不明・不明)
各人それぞれ違った言葉の暴力というのか、強い憎悪を感じた。一つ一つのシーンから矛盾を引き出し合っているように見えて、極端に上下する波を感じた。今までにない豊穣と当たりの強さがあった。落下死のシーンが印象的でした(不明・不明)
舞台と現実の区別がつかなくなるような、圧倒的な力で引き込まれました。明と暗の際立ったお一人お一人の演技が印象的でした。演出も素晴らしかったです。目の前に死と隣り合わせにある生きる事を突きつけられた気がしました。(40代・女性)
初めて演劇を観ました。あまり興味のない分野でした。今日初めて観て、演劇からこんなに得られるものがあるのだということを知りました。日頃、自分が薄々感じているけれど口に出したり、表現しきれない心の叫びを感じ、演劇の持つ力に胸を打たれました。(40代・女性)
想像していた以上、ずっとずっと素晴らしかったです。過去の人間の生と死の問題、生きるとは何か、それぞれ自分のものになっている生きた表現者です。みんな現代に向き合っている仲間。「いま感」があり有意義な時間でした。(50代・女性)