仙台シアターラボ公式HPは
https://sendai-theatrelabo.com
へ移転いたしました.
SENDAI THEATRE LABO 2023
仙台シアターラボ2023年9月公演
出演者及び劇団員オーディション開催
仙台シアターラボは劇団という集団こそが演劇作品であると考えます。
仙台シアターラボでは2023年9月に実施する仙台公演の出演者及び劇団員を募集します。
仙台シアターラボは、古今東西の多様な戯曲を使用しつつ、俳優自らが創作したダンスやコント、ものまねを構成する「構成演劇」と「集団創作」が持ち味の劇団です。
また2010年からワークショップをさまざまな世代の方々に実施し、毎年、児童館や小学校に20回程度伺わせていただいています。2013年以降は年に1本こども向けの演劇を創作し、小学校などで上演しています。
俳優として、演劇を生活の中心に置き、自分のセンスと技術を磨く生活を送りたいと思っている方。
さまざまな世代へ向けた多様な演劇を創作したいと思っている方。
私たちは皆様との出会いを強く求めています。
ぜひご応募ください。
■仙台シアターラボPV https://youtu.be/YpdKF4BtI58
■日時 以下のうち1日参加
2023年3月7日(火) 19:00〜21:30
2023年3月9日(木) 19:00〜21:30
2023年3月11日(土) 19:00〜21:30
2023年3月12日(日) 9:00〜11:30
■会場 株式会社ライセンスアカデミー仙台支社内キャンパスアクタースタジオ
仙台市宮城野区新田 2-19-2
マップ https://goo.gl/maps/VPbHktoeWXE2
※東盛幼稚園向かいの逆の入り口から入っていただきます。
■募集要項
●応募締切 2023年3月1日(水)24:00
●応募資格
18歳以上の健康な男女、経験不問
※未成年の方は保護者の同意が必要となります。
●参加費 無料
●定員 5名 ※予定人数に達し次第締め切りといたします。
●内容 柔軟運動、発声練習、基礎エチュード。
●準備物 飲み物、運動の出来る服装、室内用運動靴
●問い合わせ・申込み
仙台シアターラボ
mail:sendai.theatre.labo@gmail.com
下記事項を記入の上E-mailにてご応募ください。
・名前・メールアドレス・電話番号・性別・生年月日
・所属・演技経験
・観劇した野々下孝演出作品
・志望動機200文字以内
仙台シアターラボ公演 溶け合う世界
映像配信
劇評
鈴鴨久善
2022年10月1日15:00回
安倍晋三元首相の暗殺以後、旧統一協会信者の二世問題がクローズアップされている。しかし、これは、何も旧統一協会だけの問題ではなく、あらゆる宗教、いやもっと広く考えれば「イエ」の問題でもあるだろう。ここで私が「イエ」と言っているのは、家業や家風を含めた、個人を取り巻く家庭環境のことだ。
チェーホフの「かもめ」は、「イエ」に馴染めず、その呪縛から逃れようと足掻く人間の姿が痛々しく描かれる戯曲だ。その「足掻き」は、時には切実で、時に滑稽でさえある。そんな当事者の必死さを、作者であるチェーホフは、寄り添うでもなく、突き放すでもなく、ただただ淡々と描いている。その筆致は、実験室で対象を観察する研究者のようだ。
仙台シアターラボの「溶け合う世界」は、「かもめ」が終わったところから始まる。「かもめを鑑賞する会」でチェーホフの「かもめ」とは何か?をまとめた後、使用人ヤーコフのトレープレフを殺したという奇妙な告白に続いている。
ヤーコフはトレープレフを殺したのか?これは大いなる設問だ。私は、リアルな行為として「殺した」のではなく、トレープレフが象徴する上流階級をヤーコフたちプロレタリアートが革命で放逐したことの比喩だと思っている。しかし、そのヤーコフでさえ、この場から逃走する。つまり、ロシア帝国→ソビエト連邦→ロシアという歴史の先に、この芝居は続いているということなのだ。
芝居は常に「いま」だ。チェーホフの「かもめ」という物差しを置いて、現代を測っているのが、この芝居なのだ。
そして続く、指に紐を付けられたピアノの稽古のシーンで、私は個人を圧殺する「イエ」の同調圧力を感じた。そして同時に、冒頭で触れた信者の二世問題も感じたのだ。この夏、毒親という言葉がマスコミを賑わしたが、客観的に、冷静に見れば、虐待と思われる行為でも、それを行う本人の意識としては、愛情の表現ということが、間々ある。テレビで、いかにも美談のように放送されている伝統芸能の「イエ」の「親=師匠」という構図の凄まじさは、芸の伝承に名を借りた個人の圧殺だ。個人の前に芸があり、「イエ」があるということなのだ。そういう美談を作り出そうとする「イエ」という怪物がこの芝居の主人公なのだ。
父と息子のキャッチボールもそうだ。指導という名の虐待が、あらゆる家庭に蔓延っている奇妙な社会。しかし、私たちが、それをよくある日常の風景と見てしまうことに、私たちの病理があるのだ。
つけ足したように挿入された「ヒーローショー・精神戦士カウンセリンガー」。この場面にこそ、この作品の本当のテーマが描かれている。何処も彼処も個人を圧殺するこの世界で、生き残るためには、カウンセリングが必要だ。そんな当たり前のことを普通に言えない。日本政府を「心の闇の集合体」と言い切るために、ギャグで包まなければならないということが、何よりも悲しいのだ。
本を読むことが、救いになるのは、自分以外の言葉を取り入れることで、自分を客観的に捉えることができるからだ。
芝居の終盤、登場人物たちは、チェーホフの「かもめ」の言葉と出会い、そこに救いを見出してゆく。百年前のロシア帝国と現代の日本、時代も場所も大きく隔たっている二つの世界が、言葉で一つにつながってゆく。そのダイナミズムこそが、演劇を観るということなのだと確信した。
全体の構成として、これまでの作品と比べて、テーマと場面とに、統一性が感じられた。現代日本の病理を描くこととチェーホフの言葉とは、親和性があったということなのだろう。まさに、題名の通り「溶け合う世界」だった。
仙台シアターラボ巡回公演
こどものためのミライのひろば2022『走れメロス』上演施設募集
仙台シアターラボ巡回公演
こどものためのミライのひろば2022「走れメロス」
の上演先を募集いたします。
太宰治の名作「走れメロス」を「命の大切さ」をテーマに構成した作品です。
思春期のこどもたちにぜひ見ていただきたい作品になっています。
児童館、小学校、中学、高校などでの上演を想定しています。
上演期間は2022年4月16日から2023年3月31日まで、
劇団でしかできない通年対応可能なプログラムになっています。
ぜひ、ご検討ください。
原作 太宰治作「走れメロス」
脚色・演出・振付・選曲・舞台美術・衣装 野々下孝
出演 渡邉悠生 野々下孝 丹野貴斗 高野大地 宮本一輝 松本美咲 山口杏菜 犬飼和
照明 山澤和幸
音響 足立友恵
舞台監督 野々下孝
広報・制作 野々下孝
公演日程
2022年4月16日〜2023年3月31日
受付開始・開場は開演の30分前
会場 児童館・小学校・中学校・高校
ご依頼・お問合せ 仙台シアターラボ
Tel:090-9647-4425(野々下)
E-mail:sendai.theatre.labo@gmail.com
HP:http://s-theatrelabo.jimdo.com/
作品内容
「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ――。」
誰もが親しんだ名作を演劇にして、未来を担う子ども達に届けます。
「邪智暴虐の王」への人質として差し出した友人・セリヌンティウスの信頼に報いるために、メロスがひたすら走り続ける。信頼と友情の美しさを基本に描きつつ、そこに還元されない人間の葛藤をも描いた、日本文学における傑作のひとつ。
こどもたちにはまずワークショップを体験してもらい、その後作品を鑑賞してもらいます。
事業概要
「地元の子ども達へ、地元のアーティストが手渡せる大きな祈り。演じる人と会える場所、普段と少し違う自分と出会える場所。それがミライのひろば。」
世田谷パブリックシアターなどの公共ホールでは、子ども達を招待し、質の高い演劇鑑賞の機会を与えている。そんなアートと子どもたちの幸福な出会いを、仙台でも行いたい。地域の子どもたちの現状を知る、施設の職員の方や先生方と地域のアーティストが話し合いを行い、子どもたちに必要なアートを届けたり、学習発表会に取り組むことが必要である。仙台シアターラボは、2010年より演劇の手法を活用したワークショップを地域の子ども達に向けて実施してきた。そこで、分かったのは、先生方が関心のない東京の劇団に学校公演を依頼している実情や、学習発表会で、全く演劇の素養がない先生が、指導本そのままに、子どもたちに振り付けをしてしまい、アーティストが考える演劇とかけ離れた演劇教育が行われているという実情である。それらの現状を改善すべく、俳優が演劇的素養の普及啓発のためのワークショップ及び演劇公演の実施を企画した。劇場とは市民が集う広場である。我々は子どもたちが集う劇場という場所を「ミライのひろば」と名付けようと思う。
仙台シアターラボ公演 Fukushima Meets Miyagi Folklore Project#5 禍の光
観劇三昧でご覧いただけます。
■内容
大学の生物学研究室では、奥寺教授と大学院生たちによって、人間を作るプロジェクトが進行している。しかし、相羽良樹は自分の研究の進行が思わしくなく、野島遥は、恋人の栗山志歩が体調を崩し、実験の時間が取れなくなっている。未来を設計しながら、生活していくには、時間が足りない。ましてや死んだものや目に見えないものと過ごす時間など取れない。個人主義が進んでいる現代で、百年後の未来に寄り添う人々の物語。